亀田俊和検証委員会

HN【御座候/はむはむ2世】が江湖に問う「哲学から下ネタまで、何でもありの型にはまらないブログ」……ではなく、歴史学者・亀田俊和、呉座勇一氏らの『歴史の真実』の他、呉座・日本史界隈、本邦のアカデミズムの闇などを検証しているブログです。

楽園のハレムー検証・亀田俊和氏の台湾通信~その拾壱~

亀田俊和氏の勤務先への抗議などは、絶対にやめて下さい。宜しくお願い致します。

・初めて当エントリーを読まれる方は、亀田俊和 - Wikipediaの他、以下の「呉座勇一事件(呉座騒動)」に関する記事などの、ご一読をお勧め致します。

kensyoiinkai.hatenablog.com

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「匿名で悪口スクショが続々と…」呉座勇一氏“中傷投稿”問題、渦中の北村紗衣氏が語る顛末 | 文春オンライン

自分を責める気持ちが湧いてきて…呉座勇一氏“中傷投稿”問題、北村紗衣氏が語る「二次加害の重み」 | 文春オンライン

知識人「言論男社会」の深すぎる闇…「呉座勇一事件」の背景にあったもの(後藤 和智) | 現代ビジネス | 講談社(1/7)

令和三年・呉座の乱:ロマン優光連載183 (2021年3月26日) - エキサイトニュース

ベストセラー『応仁の乱』呉座勇一さんを名古屋大教授らが提訴 「オープンレターを削除する義務ない」 - 弁護士ドットコム

武蔵大准教授の北村紗衣氏、甲南大非常勤講師を提訴 「ツイッターで名誉毀損された」 - 弁護士ドットコム

・当ブログへのご意見・ご感想などは下記のメールアドレスまでご連絡下さい。

higakitakashikensyoiinkai@gmail.com

 子供たちへの土産の海産物は、干物ひものだけ。私は、リュックサックを背負って友人のもとを辞し、れいの喫茶店に立ち寄り、
「きのうは、どうも。ところで、……」
 とすぐに切り出し、
「このノートは、しばらく貸していただけませんか」
「ええ、どうぞ」
「このひとは、まだ生きているのですか?」
「さあ、それが、さっぱりわからないんです。十年ほど前に、京橋のお店あてに、そのノートと写真の小包が送られて来て、差し出し人は葉ちゃんにきまっているのですが、その小包には、葉ちゃんの住所も、名前さえも書いていなかったんです。空襲の時、ほかのものにまぎれて、これも不思議にたすかって、私はこないだはじめて、全部読んでみて、……」
「泣きましたか?」
「いいえ、泣くというより、……だめね、人間も、ああなっては、もう駄目ね」
「それから十年、とすると、もう亡くなっているかも知れないね。これは、あなたへのお礼のつもりで送ってよこしたのでしょう。多少、誇張して書いているようなところもあるけど、しかし、あなたも、相当ひどい被害をこうむったようですね。もし、これが全部事実だったら、そうして僕がこのひとの友人だったら、やっぱり脳病院に連れて行きたくなったかも知れない」
「あのひとのお父さんが悪いのですよ」
 何気なさそうに、そう言った。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」

太宰治『人間失格』

・例の「信州大学社会基盤研究センター」「地域デザイン部門」の部門長・教授にして、東京大学先端科学技術研究センター(先端研、RCAST)教授の玉井克哉氏。呉座騒動後、玉井氏は加害者の呉座勇一氏を熱心に擁護しつつ、留学先の名門キングス・カレッジ・ロンドン英文学科博士課程にてPh.D(博士号)を取得した被害者の北村紗衣氏に再三再四言及していたのは、周知の事実かと思われます。

researchmap.jp

kensyoiinkai.hatenablog.com

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 その玉井氏ですが、かつてツイッターで以下のような発言をしておりました。

※以下のツイートは、ご参考なまでに掲載したものであり、自分はこのご見解に賛同している訳ではありません。宜しくお願い致します。

 生前、当時の田中角栄首相を退陣に追い込んだ『田中角栄研究』、日本共産党の裏面史を暴いた『日本共産党の研究』などで名を馳せたジャーナリストの立花隆氏が、1995年~1998年まで東大先端研に客員教授として在籍していたことは事実です*1

 立花氏の最終学歴が、「東大文学部フランス文学科卒業」であり、「学士」であることは間違いありません。

ja.wikipedia.org

 同様に、最終学歴が「東大法学部卒業」であり、大学院にも進学していない「学士」の玉井氏が、「博士号を持っていない人」(※修士号さえ持っていない人)にも拘らず、東大先端研の教授としてテニュア持ちなのか。恐縮ながら、実に不可解です。

ja.wikipedia.org

 恐らく、玉井氏は、東大法学部伝統の所謂「学士助手」制度の恩恵に与って、博士論文はおろか、大学院にも進まずに、たった3年間の助手生活で研究者としての基礎訓練(?)を事実上終了しておられるのでしょう。ある意味、北村氏はおろか、呉座氏や亀田センセイとも対照的であります。今後、百億歩譲って玉井氏が博士号を取得するにしても、大方、退官間近の「記念」の可能性もあります。

 私事で恐縮ですが、自分はツイッターで玉井氏からブロックされていますので、どなたか代わりに、

「博士号(修士号)も持ってない貴殿が、なぜ先端研の教授になれたのですか?」

「どんな手を使われたのですか?」

「未だに博士号はおろか、修士号も持っていない貴殿が、どの面下げて後輩の研究者たちなどに、大上段からご立派なお説教ができるのですか?」

「一体いつになったら、博士号を取得なさるのですか?」

「貴殿は所謂『実務派教員』なのですか?」

「貴殿のもう一つの所属先である信州大学社会基盤研究センターとは、どういう研究所なのですか?」

「如何にして、同センターの地域デザイン部門の部門長兼教授になったのですか。やはり、多額の寄附等が決め手ですか?」

……などについて、玉井氏ご本人にご質問して頂けると幸いです。無論、くれぐれもマナー等は厳守し、玉井氏にご迷惑をお掛けしない範囲でお願い致します。

・自称「ネット保守」「新保守主義者」「ネット右翼の代表格」のネット論客・HN【はむはむ】だった亀田センセイの、母校・京都大学の後輩でもある青識亜論氏。例のフェミニストなりすましの自作自演の謀略、所謂「偽旗作戦」が発覚して謝罪に追い込まれた後も、相も変わらず平常運転が続いているようです。

kensyoiinkai.hatenablog.com

※以下のツイートなどは、ご参考なまでに掲載したものであり、自分はこれらのご見解に賛同している訳ではありません。宜しくお願い致します。

 くどいようですが、「謝罪」した後の態度ないしスタンスこそ、実は謝罪と同等か、それ以上に他者から問われる重要な目安の一つだと考えられます。この人は、本当にきちんと反省して、悔い改めているのだろうか。これでは、信用できない。また何かやらかすぞ、と。「謝罪しても絶対に反省しない」岡田斗司夫など、そうした意味では偉大なる反面教師でしょう*2

 そもそも、言うまでもなく、青識氏が主張するような「自由に差別する権利」などと言う代物は一切存在しません。自由には相応の責任が伴います。愚にもつかない詭弁、屁理屈に過ぎないと思います。

 どうでもいい話ですが、亀田センセイは元祖ネット論客・HN【はむはむ】としても、つくづく頼もしい後輩を持ったものだなあ、さぞかし光栄なのだろうなあと改めて感銘を受けました。

 個人的には、亀田センセイと青識氏、又は呉座氏との対談などが実現すると、これまた面白そうですが。最近、呉座氏にご執心なあずまん先生が興味を持ってくれたら、実現する可能性もあると思います。不謹慎で恐縮ですが、実現した場合、どんな爆弾発言が飛び出すやら……。

 

●「亀田俊和の台湾通信」第9回から 

 今回は、亀山島へ行った話を書いてみたい。

 亀山島とは、台湾北東部の本土から10キロほど離れた場所にある島である。亀によく似た形をしているので、こう名づけられたらしい。かつては人が住んでいたが、戦後過疎化が進行し、1977年に軍事演習場に指定されると、残りの島民も強制移住させられて無人島となったが、2000年から観光客の受け入れが開始された。とは言え、島の自然を守るため、1日ごとに人数制限があり、しかも事前に申し込みが必要で有料である。今年は観光地化してちょうど20周年であるため、名前に「亀」がつく人を特別に無料で受け入れるというイベントが企画されたのである。

亀田俊和「亀田俊和の台湾通信:第9回」(『中国史史料研究会』会報第8号)

 以前にも、今から2年程前、亀田センセイが台湾の亀山島における観光解禁20周年の上陸イベントに参加したことなどを、簡単にご紹介致しました。

www.excite.co.jp

kensyoiinkai.hatenablog.com

 上記のイベントなども通じて台湾の日本人社会でも、着々と人脈を広げて、知る人ぞ知る著名人になりつつあるらしい亀田センセイですが、それ自体は結構なことだと思います。

 閑話休題。亀田センセイですが、この回でも、ご自身のルーツというか名字の由来や生まれ故郷のことなどについても、改めて饒舌に語っておられます。

 ついでだから「亀田」の名字の由来も紹介したい。秋田県鹿角郡小坂町に亀田山という標高300メートル足らずの小さな山があり(平地の標高が高いので、実質的には100メートルくらいだと思う)、先祖がその麓の集落出身であるのが由来である。この集落には今でも亀田姓が多数住んでいるので、秋田に住んでいた頃はこれでからかわれることはほとんどなかった。何しろ、中学校では私の学年に亀田姓が7人もいたのである。

 昭和30年代には鉱山があり、金・銀・銅などを採掘していたそうである。今も山道を歩くと、鉱石のかけらが多数落ちている。現在、この山の中を東北自動車道亀田山トンネルが通っている。1400メートルを超える、けっこう長いトンネルである。工事中に縄文遺跡が発見され、私も見学したことがある。山の中腹にある亀田山神社は、なぜか加藤清正信仰の神社らしい。子どもの頃はよくこの山に登って遊んだが、現在は熊が出没するので登山は控えている。

亀田俊和「亀田俊和の台湾通信:第9回」(『中国史史料研究会』会報第8号)

kensyoiinkai.hatenablog.com

※以下のツイートは、ご参考なまでに掲載したものであり、自分はこのご見解に賛同している訳ではありません。宜しくお願い致します。

 亀田センセイがご自身の名字の由来にもなった亀田山……センセイが秋田県出身である公式プロフィールなどの情報からすると、恐らくは、同県鹿角郡小坂町にある同名の山でのことでしょう。

 それ以外に本邦で「亀田山」という地名は、島根県松江城天守閣が建っている標高29メートルの山にもありますが、無論、これではありません。

 因みに、小坂町は19世紀初頭(江戸時代末期)に金や銀を産出する小坂鉱山が発見され、当時、地元を支配下に置いていた盛岡藩(南部氏)直営の鉱山の町だった歴史があります。明治時代に入って精錬技術が向上すると、銅や亜鉛、鉛などの生産も行われて、第二次世界大戦後に資源が枯渇して事業が停止するまで、町は大いに賑わっていたそうです。今でも往時の繁栄を偲ばせるルネサンス様式の小坂鉱山事務所など、見所満載だとか。

www.town.kosaka.akita.jp

 そもそも、小坂町を含む秋田県鹿角郡は、大昔から金や銅の一大産地という重要性から、戦国時代以降、明治時代になるまで盛岡藩(南部氏)と久保田藩*3(佐竹氏)との間で、激しい争奪戦が繰り広げられていたのも史実のようです。

 尚、幕末時点では、鹿角郡の全域が盛岡藩の領地だった模様です。

 以上のことなどを、亀田センセイは亡父の葬儀の折にも、ごく簡単に触れておりましたが……「秋田県鹿角郡小坂町」!?

 おやおや……何処かで見覚えのある、既視感ありありの地名だと思っていたら、院生・ポスドク時代の亀田センセイご本人と思しき方が、当時、『京大生のためのコミュニティ・サイト』に降臨して書き込んでいたスレッド「亀田俊和さんスレ ~其の3~」にもありました!

※以下のスクショなどはご参考なまでに掲載したものであり、自分はこれらの見解に賛同している訳ではありません。宜しくお願い致します。

※『京大生のためのコミュニティ・サイト』「kyoto-u.com>談話室>京大ライフ>亀田俊和さんスレ ~其の3~」から

megalodon.jp

亀田 俊和 2005/02/10(木) 00:48:07
>道程さん。

こんばんは。はじめまして。

ええ、秋田県人ですよ。鹿角郡小坂町の出身です。十和田湖の近くですよ。

横手市は、思いっきり遠くて、ドライブで一度しか行ったことがありません。
弘前によく似てる町だなーって思ったことを覚えています。

横手城には、本多正純の墓があるんですよね。
あれ見て、なんだか悲しい気分になってしまいました。

地元には、新幹線で帰ります。
盛岡から、高速バスに乗って行くんですよ。

 これまた「語るに落ちる」です。京都大学が本邦屈指のエリート国立大学であり、2005年度の学生数(学部学生数)が、男女合わせて13,254人も在校生を抱えていたとしても*4、それに反比例して大学院生の数は少ないのが実情でしょう。もとより、これは京大に限ったことではありませんが。因みに、ここ数年の京大院生数の合計は、約9,300人~9500人強だそうで、数そのものに大きな変動はありません。

 京大の2005年度の院生数(大学院学生数)は、9,198人。亀田センセイご本人が、2003年3月まで博士(後期)課程にて所属していたこともある文学研究科の在校生は、538人。内訳は、男子352人。女子186人。その中で、修士課程は男子175人、女子91人の計266人。博士(後期)課程は男子154人、女子85人の計239人。聴講生は男子23人、女子10人の計33人です。

www.kyoto-u.ac.jp

www.kyoto-u.ac.jp

www.kyoto-u.ac.jp

 尚、亀田センセイが博士後期課程研究指導認定退学*5 直後の2003年度の院生数(大学院学生数)は、8,331人。文学研究科の在校生は、519人。内訳は、男子326人。女子193人。その中で、修士課程は男子157人、女子95人の計252人。博士(後期)課程は男子156人、女子84人の計240人。聴講生は男子13人、女子14人の計27人です。

www.kyoto-u.ac.jp

 常識的に考えても、当時、154人~156人前後のごく少数の京大大学院文学研究科の博士課程の院生(男子)の中で、秋田県出身者。ましてや「亀田山」のある「秋田県鹿角郡小坂町」近辺で幼少時から中学校の頃まで暮らしていた人物。「亀田山」が標高約300メートル足らずの山であるとご存知のお方。しかも、口幅ったい言い方で恐縮ですが、秋田県の片田舎であり、隣接する青森県岩手県との県境にも近い地元の地理や歴史や交通事情などにもやけに詳しいお方。Wikipediaでさえ存在がマイナー過ぎて(?)確認できない、亀田山の中腹にあるという「亀田山神社」。そこの祭神が、加藤清正であることもご存知という地元出身のお方となると……はい、もう「答え合わせ」は完了したも同然です。

 これにて、文字通り無数の「点と線」が完全に一つに繋がりました。

 尚、亀田センセイは周知の通り、このスレでも亀田俊和=HN【はむはむ】が同一人物であると正体を大々的に明かした上で、呉座氏もご存知らしい閉鎖したブログ『はむはむの煩悩(新・はむはむの煩悩)』*6のことなども宣伝しておられました。言うまでもなく、その真意は不明ですが。

※以下のスクショなどはご参考なまでに掲載したものであり、自分はこれらの見解に賛同している訳ではありません。宜しくお願い致します。

※『京大生のためのコミュニティ・サイト』「kyoto-u.com>談話室>京大ライフ>亀田俊和さんスレ ~其の3~」から

 因みに、上記の『史林』第86巻3号に載った亀田センセイの論文とは、『室町幕府執事施行状の形成と展開―下文施行システムを中心として―』という2003年5月頃に発表された査読付き論文のことだと思われます*7。これなども、傍証の一つには値すると考えます。

researchmap.jp

 亀田センセイの院生時代を知る鷲尾拓さん*8ポスドク時代を直接知るヤッコたんさん*9などの貴重なご証言に加えて、上記の「亀田俊和の台湾通信」第9回の記述こそ……亀田俊和=HN【はむはむ】が同一人物であったことを雄弁に物語っている、それこそ動かぬ決定的証拠の一つでしょう。

 と言いますか、現時点を以て、自分はそう判断致します。以後、亀田センセイご本人が幾ら頑強に否定しようとも、「歴史学者亀田俊和」の裏の顔がー自称「ネット保守」「新保守主義者」「ネット右翼の代表格」のネット論客・HN【はむはむ】であったのは、100%紛れも無い事実であると、ここに断言致します!

 尚、亀田センセイは「十和田湖の近くですよ。」とご自身の出身地の近辺に十和田湖があることも明言しておられましたが、皮肉にも、小坂町公式ツイッターも近隣の十和田湖観光をしっかりアピールされていました。

 余談ながら、フォロワー数が約940人*10小坂町の公式ツイッターのアカウントを、亀田センセイもしっかりとフォローしているのが確認できます。いやあ、偶然って、本当に怖いですねえ。

※2022年6月14日(火)確認。秋田県鹿角郡小坂町の公式ツイッターを、亀田センセイのアカウントがフォローしているのが一目瞭然です

 亀田センセイの地元、中学時代頃まで過ごされた秋田県鹿角郡小坂町を「聖地巡礼」のノリで訪問してみるのもまた面白そうです。いや、冗談です。大変失礼致しました。またネットストーカー呼ばわりされたくはありませんから。

 とは言え、ここまで色々と調べてきまして、亀田センセイ云々は別としても、少しばかり小坂町に興味が沸いてきたのも事実の側面ではあります。

 それはさておき、機会があれば、上記の記述の真実性を確認するためにも、現地調査ならぬ現地取材の意義は無きにしも非ず、です。個人的には、熊が出没するという亀田山、何故か加藤清正を祀ってあるらしい亀田山神社の存在など気になりますが……。


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*1:尚、立花氏は、その後、2007年度~2010年度まで立教大学大学院でも特任教授として教鞭を取っておられました。→ 【哀悼】立花隆 元特任教授の訃報に接し、心より哀悼の意を表します | 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科公式サイト

*2:軽井沢デイドリームー呉座勇一氏のもう一つの所属先「信州大学社会基盤研究センター」の謎を追う~その壱~ - 亀田俊和検証委員会

*3:秋田藩という別称もあります。

*4:学部学生数 2005年度 | 京都大学

*5:大学院における博士課程コースの「研究指導認定退学」とは、課程の修了に必要な単位を取得して研究指導も受けたが、学位(博士号など)を取得できずに退学することです。とどのつまり、きちんと指導を受けて、後は博士論文を提出するだけの状態とも言えるので、事実上の「卒業」とも解釈できる余地はあると思われます。博士課程指導認定退学とはどのような概念なんでしょうか。単位取得退学とはま... - Yahoo!知恵袋

*6:閉鎖(削除)したのは、2016年3月頃と推定される。→ ネット論客としてスターになった俺は、日本中世史界隈をも無双するー亀田俊和氏のHN【はむはむ】時代の栄光の軌跡を追う~其の壱~ - 亀田俊和検証委員会

*7: 亀田 俊和 | 研究者情報 | J-GLOBAL 科学技術総合リンクセンター

*8:→ 君の人生は輝いているか①・イントロダクション - 亀田俊和検証委員会  楽園のハレムー検証・亀田俊和氏の台湾通信~その伍~ - 亀田俊和検証委員会

*9:君の人生は輝いているか②・フォーワード - 亀田俊和検証委員会

*10:※2022年6月14日確認。