亀田俊和検証委員会

HN【御座候/はむはむ2世】が江湖に問う「哲学から下ネタまで、何でもありの型にはまらないブログ」……ではなく、歴史学者・亀田俊和、呉座勇一氏らの『歴史の真実』の他、呉座・日本史界隈、本邦のアカデミズムの闇などを検証しているブログです。

楽園のハレムー検証・亀田俊和氏の台湾通信~その拾~

亀田俊和氏の勤務先への抗議などは、絶対にやめて下さい。宜しくお願い致します。

・初めて当エントリーを読まれる方は、亀田俊和 - Wikipediaの他、以下の「呉座勇一事件(呉座騒動)」に関する記事などの、ご一読をお勧め致します。

kensyoiinkai.hatenablog.com

kensyoiinkai.hatenablog.com

kensyoiinkai.hatenablog.com

「匿名で悪口スクショが続々と…」呉座勇一氏“中傷投稿”問題、渦中の北村紗衣氏が語る顛末 | 文春オンライン

自分を責める気持ちが湧いてきて…呉座勇一氏“中傷投稿”問題、北村紗衣氏が語る「二次加害の重み」 | 文春オンライン

知識人「言論男社会」の深すぎる闇…「呉座勇一事件」の背景にあったもの(後藤 和智) | 現代ビジネス | 講談社(1/7)

令和三年・呉座の乱:ロマン優光連載183 (2021年3月26日) - エキサイトニュース

ベストセラー『応仁の乱』呉座勇一さんを名古屋大教授らが提訴 「オープンレターを削除する義務ない」 - 弁護士ドットコム

武蔵大准教授の北村紗衣氏、甲南大非常勤講師を提訴 「ツイッターで名誉毀損された」 - 弁護士ドットコム

・当ブログへのご意見・ご感想などは下記のメールアドレスまでご連絡下さい。

higakitakashikensyoiinkai@gmail.com

 あとがき

 

 この手記を書き綴った狂人を、私は、直接には知らない。けれども、この手記に出て来る京橋のスタンド・バアのマダムともおぼしき人物を、私はちょっと知っているのである。小柄で、顔色のよくない、眼が細くり上っていて、鼻の高い、美人というよりは、美青年といったほうがいいくらいの固い感じのひとであった。この手記には、どうやら、昭和五、六、七年、あの頃の東京の風景がおもに写されているように思われるが、私が、その京橋のスタンド・バアに、友人に連れられて二、三度、立ち寄り、ハイボールなど飲んだのは、れいの日本の「軍部」がそろそろ露骨にあばれはじめた昭和十年前後の事であったから、この手記を書いた男には、おめにかかる事が出来なかったわけである。
 然るに、ことしの二月、私は千葉県船橋市疎開している或る友人をたずねた。その友人は、私の大学時代の謂わば学友で、いまは某女子大の講師をしているのであるが、実は私はこの友人に私の身内の者の縁談を依頼していたので、その用事もあり、かたがた何か新鮮な海産物でも仕入れて私の家の者たちに食わせてやろうと思い、リュックサックを背負って船橋市へ出かけて行ったのである。
 船橋市は、泥海に臨んだかなり大きいまちであった。新住民たるその友人の家は、その土地の人に所番地を告げてたずねても、なかなかわからないのである。寒い上に、リュックサックを背負った肩が痛くなり、私はレコードの提琴の音にひかれて、或る喫茶店のドアを押した。
 そこのマダムに見覚えがあり、たずねてみたら、まさに、十年前のあの京橋の小さいバアのマダムであった。マダムも、私をすぐに思い出してくれた様子で、互いに大袈裟おおげさに驚き、笑い、それからこんな時のおきまりの、れいの、空襲で焼け出されたお互いの経験を問われもせぬのに、いかにも自慢らしく語り合い、
「あなたは、しかし、かわらない」
「いいえ、もうお婆さん。からだが、がたぴしです。あなたこそ、お若いわ」
「とんでもない、子供がもう三人もあるんだよ。きょうはそいつらのために買い出し」
 などと、これもまた久し振りで逢った者同志のおきまりの挨拶を交し、それから、二人に共通の知人のその後の消息をたずね合ったりして、そのうちに、ふとマダムは口調を改め、あなたは葉ちゃんを知っていたかしら、と言う。それは知らない、と答えると、マダムは、奥へ行って、三冊のノートブックと、三葉の写真を持って来て私に手渡し、
「何か、小説の材料になるかも知れませんわ」
 と言った。
 私は、ひとから押しつけられた材料でものを書けないたちなので、すぐにその場でかえそうかと思ったが、(三葉の写真、その奇怪さに就いては、はしがきにも書いて置いた)その写真に心をひかれ、とにかくノートをあずかる事にして、帰りにはまたここへ立ち寄りますが、何町何番地の何さん、女子大の先生をしているひとの家をご存じないか、と尋ねると、やはり新住民同志、知っていた。時たま、この喫茶店にもお見えになるという。すぐ近所であった。
 その夜、友人とわずかなお酒をみ交し、泊めてもらう事にして、私は朝まで一睡もせずに、れいのノートに読みふけった。
 その手記に書かれてあるのは、昔の話ではあったが、しかし、現代の人たちが読んでも、かなりの興味を持つに違いない。下手に私の筆を加えるよりは、これはこのまま、どこかの雑誌社にたのんで発表してもらったほうが、なお、有意義な事のように思われた。

太宰治『人間失格』

前回のエントリーでも取り上げた政治史家で法政大学法学部教授の河野有理氏ですが……実名アカウントのツイッターでは、あらゆる批判や反論、抗議などにも基本的に正面からは答えない、答えようとしない実に不可解なスタンスだとか。それでいて、当て擦りばかりという、糠に釘というか、隔靴搔痒の感が否めないお方らしいそうです。

 これは自分の勝手な憶測ですが、森新之介氏も存在を指摘していた別の鍵垢とやらでは、それこそ別人のような口調で、今も饒舌に「何か」をリアルタイムで語っておられる可能性もありますが……。

※以下のツイートなどは、ご参考なまでに掲載したものであり、自分はこれらのご見解に賛同している訳ではありません。宜しくお願い致します。

note.com

b.hatena.ne.jp

note.com

note.com

 尚、北村氏が河野氏と並んで言及されている辻田真佐憲氏とは、軍歌研究などをライフワークとしている作家の方です。近年は、呉座氏と共に、哲学者の東浩紀氏ことあずまん先生らが主宰するイベントに参加するなど、親交を深めておられるようです。そのご縁なのか、これまた名指しではありませんが、北村氏に度々言及している模様です。

※以下のツイートなどは、ご参考なまでに掲載したものであり、自分はこれらのご見解に賛同している訳ではありません。宜しくお願い致します。

 余談ながら、あずまん先生は呉座騒動後、オープンレターなどを巡って呉座氏に惚れ込んだようで、まるでスターのように持て囃しておられます。まあ、呉座氏は曲がりなりにも日本史界隈の、読んで字の如く若手スター学者のお一人ではあります。あずまん先生個人にとっても、ある意味、呉座氏は雲の上の人の可能性さえあります。呉座氏ご本人も、一部では善意の「逆神」(?)と評判のあずまん先生から気に入られたことにまんざらでも無いご様子で、何よりです。

 もしかしたら、今後、あずまん先生は呉座氏とのご縁を通じて、亀田センセイにも興味を持たれる可能性もあります。その暁には、あずまん先生主宰のイベントの真打ちとして、亀田センセイが呉座・辻田のご両名らと共にご参加なさることも充分以上に有りうると推測されます。

 仮定の話ではありますが、実現した場合……まさに本邦が誇る言論界の祭神たちが、さながら黄泉の国から一堂に降臨する神イベント!

 論壇の安倍晴明たる大御所・あずまん先生と、同じく日本史界隈の蘆屋道満であられるカリスマ天才学者・亀田センセイの、二大陰陽師(ネット論客)が織り成す現代の六道冥官祭*1が……否、百鬼夜行がここに!?


www.youtube.com


www.youtube.com


www.youtube.com

 僭越ながら、その時は自分も当ブログで徹底的に検証させて頂きます。亀田センセイ、呉座氏、あずまん先生らによる夢の共演が実現することを、切にお願い申し上げます。

・呉座騒動時の、呉座勇一・平林緑萌の両氏らに関するツイッターでの反応などから。

 尚、「K・HIRAYAMA」のアカウントは、大河ドラマ真田丸』などの時代考証もご担当なされた戦国武田氏研究の第一人者たる歴史学者・平山優氏のことです。平山氏は、亀田センセイとも日本中世史の研究者仲間として交流があるそうです。又、一説にはとある御仁ともお知り合いらしいですが……。

※以下のツイートなどは、ご参考なまでに掲載したものであり、自分はこれらのご見解に賛同している訳ではありません。宜しくお願い致します。

b.hatena.ne.jp

「既に名言していますが、僕はごく限られた例外を除いてツイ消しはいたしません。」と平林氏は文字通り「明言」されておられますが……ここは額面通りに受け取るべきなのでしょうか?

 その後、紆余曲折を経て、平林・平山の両氏は北村紗衣氏に謝罪しておられます*2。が、新名一仁氏は……不明です。遺憾ながら、確認できませんでした。

 

●「亀田俊和の台湾通信」第8回から

 今までも少し触れたが、2017年7月25日に拙著『観応の擾乱』の初版が刊行された。台湾に来る直前である。幸いかなりのご好評をいただいたようで、引っ越し作業の最中も毎日ツイッター等をチェックしていた。チェックしすぎて、担当編集の上林達也さんに心配されたほどである。

亀田俊和「亀田俊和の台湾通信:第8回」(『中国史史料研究会』会報第7号)

 改めまして、亀田センセイ、『観応の擾乱』(中公新書)のベストセラー、おめでとうございます!一説には約8万5千部*3も突破するなど、本邦の慢性的な出版不況をも吹き飛ばす破格の売れ行きでした。亀田センセイは否定なさりますが……恐縮ながら、半ば他力本願の結果論であれ、呉座氏が『応仁の乱』(中公新書)で巻き起こした室町ブームの気流に乗って著者のセンセイ諸共凧の如く天まで舞い上がり、何よりだったと考えております。

 今となっては……幾星霜、儚き刹那の煌めきでしたが。このまま、真夏の線香花火のように、いつしか消えていく運命の可能性もあります。

 売上そのものでも、先行した呉座氏の『応仁の乱』(同)に大きく水をあけられて、遺憾ながら、二番煎じの感もありました。いいえ、これは蛇足でしたね。

 それにしても、亀田センセイは自称「ネット保守」「新保守主義者」「ネット右翼の代表格」のネット論客・HN【はむはむ】時代からの慣習(?)なのか、当時からエゴサーチにも余念が無かったご様子です。こうして、センセイご本人も気付かない内に、「フェミニストどもを土下座させて謝らせた!」などというアンチフェミニストの本能が蠢いて、北村氏のことを無意識にロックオンしていたのでしょうか?嗚呼……。

 台湾に移住してからも、前にも書いたように、相変わらず毎日ネットをチェックしていた。相変わらずかなりの反響であったが、ここは外国である。南北朝時代という日本ですらマイナーな時代の本の存在など、当然誰も知らなかった。

 と言うかそもそも、日本でもそんなに言われるほど話題だったのであろうか。こちらに来てから、台湾在住の日本人はもとより、台湾に出張等で来られた日本人とも数多く知り合いとなり、名刺を交換した。日本にいた頃は名刺交換などせいぜい年に2~3回の頻度だったのに、こちらに来てから用意した200枚の名刺は1年半ほどでなくなってしまった。皮肉にも、外国に移住してから面識を持った日本人の方がはるかに多い。このこと自体が私にとっては衝撃であったが、もっと衝撃だったのは、それらの日本人のほとんどが『観応の擾乱』などまったく知らなかったことである。だいたい、こんなやりとりで終わることが多い。

日本語教育の専門家ですか?」

「いいえ。専門は日本史です」

「どの時代を研究されているのですか?近代の台湾植民地研究ですか?」

「いいえ。南北朝時代室町幕府です」

「それって藤原氏とかでしたっけ?」

「足利氏です」

「なるほど。それを台湾から見た視点でご研究されているわけですね?」

「いいえ。足利氏など、台湾とはまったく接点がありません。日本人が日本から見た視点でやっています」

「……」

 これは学問の世界と無縁のサラリーマンとかだけの話ではない。大学の研究者も概ねこんな感じである。ツイッターとかで見ているのは、実はまぼろしなのではないだろうか。『応仁の乱』と混同されることもよくある。一応いちいち訂正はしているが、いまいち伝わっていない感じがする

亀田俊和「亀田俊和の台湾通信:第8回」(『中国史史料研究会』会報第7号)

 おおーう……前回のエントリーでも指摘しましたが……亀田センセイは在台湾の日本人社会、さらに台湾に来訪された日本人の間でも、著名人の一人として名が知られつつあるようです。

 実際、亀田センセイのファンや信者の中には、台湾在住の日本人、又は台湾にご縁が深いらしい方々をツイッターでも何人か確認できます。たった一度であれ、取り留めの無い雑談であれ、「名刺交換」であれ、きっかけは十人十色。人と人との縁とは大切なものだと思います。

 台湾移住後、内外に人脈をじわじわと広げている亀田センセイは、呉座氏同様、良い意味でも悪い意味でも凡人では無いと、改めて痛感させてくれます。

 とはいうものの、不遜な言い方で恐縮ながら……亀田センセイがライフワークにしているらしい『観応の擾乱』について、大抵の日本人が、大学の研究者でさえ全然知らないというのは、ある意味、当然だと思われます。遺憾ながら、です。

 そもそも、南北朝時代そのものが、日本史というジャンルでもマイナーであることは、亀田センセイご自身も認められておられる通りでしょう。

 ましてや、本邦では日本史を語る上で絶対に外せない歴史上の一大事件たる『応仁の乱』でさえも、知名度はともかく、具体的には如何なるものだったのか。皮肉にも、呉座氏の『応仁の乱』(中公新書)がベストセラーになるまで、一般社会では殆ど全く知られていなかったそうですから……。否、基本的に歴史界隈以外の研究者の間でも、です。

 というか、8月15日の終戦記念日はおろか、この国がアメリカと戦争をしていたという史実さえも碌に知らないという方々も大勢いられるのが、昨今の本邦の実情らしいです。事実ならば、何とも侘しい限りですが。

 これまた口幅ったい言い方になり、大変恐縮ではございますが……上記の『観応の擾乱』に関する「もっと衝撃」云々は、亀田センセイの社会認識の「限界」を露呈されていたと考えられます。

 余談ながら、亀田センセイの裏の顔ー自称「ネット保守」「新保守主義者」「ネット右翼の代表格」たるネット論客・HN【はむはむ】としての天衣無縫のご活躍ぶりも、台湾でセンセイと縁を結ばれた方々に是非とも知って頂きたいものです。言うまでもなく、隠された素顔を知ってこそ、センセイの真の魅力に気付かれるでしょうから。


www.youtube.com


www.youtube.com


www.youtube.com


www.youtube.com


www.youtube.com