亀田俊和検証委員会

歴史学者・亀田俊和、呉座勇一氏らの『歴史の真実』の他、日本史界隈、本邦のアカデミズムの闇などを検証しているブログです。

Broken Japanese History/歴史学者、半生をかく語りきー亀田俊和氏と呉座勇一氏と~秘史篇・中(乙)~

亀田俊和氏の勤務先への抗議などは、絶対にやめて下さい。宜しくお願い致します。

・初めて当エントリーを読まれる方は、亀田俊和 - Wikipediaの他、以下の「呉座勇一事件(呉座騒動)」に関する記事などの、ご一読をお勧め致します。

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女性蔑視投稿で炎上の呉座勇一氏 知人は「彼は食事中もスマホを手放さないSNS中毒」 | デイリー新潮

「匿名で悪口スクショが続々と…」呉座勇一氏“中傷投稿”問題、渦中の北村紗衣氏が語る顛末 | 文春オンライン

自分を責める気持ちが湧いてきて…呉座勇一氏“中傷投稿”問題、北村紗衣氏が語る「二次加害の重み」 | 文春オンライン

知識人「言論男社会」の深すぎる闇…「呉座勇一事件」の背景にあったもの(後藤 和智) | 現代ビジネス | 講談社(1/7)

令和三年・呉座の乱:ロマン優光連載183 (2021年3月26日) - エキサイトニュース

ベストセラー『応仁の乱』呉座勇一さんを名古屋大教授らが提訴 「オープンレターを削除する義務ない」 - 弁護士ドットコム

武蔵大准教授の北村紗衣氏、甲南大非常勤講師を提訴 「ツイッターで名誉毀損された」 - 弁護士ドットコム

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higakitakashikensyoiinkai@gmail.com

●呉座勇一氏、自著の「あとがき」にて半生を語る~其の弐~ 

 さて私は、この業界でいうところの「あとがき愛読派」の一員を自認しているのだが、あとがきを読んでいると、いつも驚かされることがある。それは、日本中世史の研究者の多くが中高生時代から歴史に対する激しい情熱を持っていることである。歴史系のサークルを立ち上げたり、無数の中世城郭、あるいは神社仏閣を”制覇”したり、それらに飽きたらず中世史の専門研究書や史料集をひもといたりと、はっきりいってすごすぎるのである。こうした”武勇伝”を読んでいると、なるべくして日本史の研究者になったのだな、と感嘆するほかない。

 一方の私はといえば、「人なみはずれた歴史ぎらい」と語ればウソになるが、高校生当時、歴史への関心は「人なみよりは上」程度であった。日本史は得意教科ではあったが、クラスで「歴史博士」的ポジションにいた、などということは全然ない。大河ドラマを観たり、司馬遼太郎を読んだり、せいぜいそのレベルである。

 大学で専攻を決める際も、真剣に検討した記憶がない。まず語学が苦手だったので、加えて受験科目の中では現代文と日本史が好きだったので、日本文学か日本史学にしようと考えた。そして、上クラ(説明すると長くなるので、ご存知ない方はググっていただきたい)に日本史学研究室に進学された方がいて、研究室の和気藹々とした様子を楽しげに語るので、それにつられて日本史を選んだ。この時点で、研究者になるという発想は一切なかった。

呉座勇一『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)p355~p356

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からの続き)今や本邦が世界に誇る、偉大なる歴史学者呉座勇一氏ですが……実は元々、歴史好きでは無かったらしいという衝撃の新事実などが次々と明かされております

 かの名門男子校たる海城高校時代、「歴史」そのものに大して興味も関心も無く、「(ご本人にとっては相対的に)日本史は得意教科」「受験科目の中では現代文と日本史が好きだった」……などという理由で、ただ何となく、進学先を決定したと思われる呉座氏。

 無論、高校時代の先輩のお話をお聞きして「研究室の和気藹々とした様子を楽しげに語るので、それにつられて日本史を選んだ。この時点で、研究者になるという発想は一切なかった。」とも余裕綽々で仰るのですから、ある意味、呉座氏はやはり只者ではありませんでした。良くも悪くも早熟にして才気煥発たる逸材であったのだなあ、と我ながら脱帽致しました。

 ご自分が愛着や思入れに乏しい分野の「日本史学」においても、忽ち頭角を現し、こうして数々の伝説、神話をも現在進行形で量産し続けておられるのですから。呉座氏に日本史学研究室のお話を振った先輩の目に狂いは無かったということになります。自分の勝手な憶測で恐縮ながら、恐らく、呉座氏は幼少のみぎりから、神童ぶりで周囲を感嘆させておられた可能性もございます。流石は、神が地上に遣わされた「神の子」……日本史界隈の現人神になりつつある呉座勇一氏かと存じ上げます。

 語学が(相対的に)苦手だったという呉座氏の告白にも、驚愕というか、ともすれば首を傾げる事実ではあります。本当に呉座氏が、英語などの語学が苦手であったのならば……同様に語学が苦手だったという亀田センセイが、断腸の想いで断念したらしい東大受験とは何だったのでしょうか?

 そもそも、常識的に考えても本邦を代表する進学校海城高校から東大、同大学院と絵に描いたようなエリートコースを歩んできた呉座氏の英語力は、桁外れかと存じ上げますが。平均的な日本人の英語力を、呉座氏も亀田センセイも共に凌駕しているのは確実でしょう。一体、ご両人とも、何を基準にしてご自分たちは「語学(英語等)が苦手だった」などと仰っていられるのか。呉座氏や亀田センセイの足下にも及ばない、下水道を塒にする鼠族のような自分の頭では、実に不可解であります。自分の脳味噌の容量が少なく、理解が追い付かなくて、申し訳ございません。

 余談ながら、呉座氏から説明すると長くなるので、ご存知ない方はググっていただきたい」などとご高配を賜った「上クラ」というお言葉ですが……これは正確には所謂「東大用語」で、以下のような意味があるそうです。

東大では選択した語学でクラス分けがされており、そのクラス単位で授業を受ける。同じ「○科○類○組」の1年生と2年生との間には特別な呼び名があり、2年生を「上クラ」、1年生を「下クラ」と呼ぶ。4月の初めにはこの「上クラ」が「下クラ」を旅行に連れて行くという行事も毎年行われる。

東大用語集 | 大学情報 | 東大塾 | 河合塾

 最初から「東大の2年生」とご説明すればいいものを、わざわざ、学術書の「あとがき」において、学術用語でも無い一種のスラングの「上クラ」を内輪の感覚でご使用なさるとは。紙数の関係もあるでしょうが、注釈なども一切付けずに、です。曲がりなりにも専門家による専門書でありながら、事情が分からない読者にグーグル検索の注文まで付ける辺り、少々不親切かと存じ上げますが。

 卑怯な言い方で恐縮ながら、自分が編集者ならば、引きつった満面の笑顔を湛えつつ、赤ペンで呉座氏の原稿を添削させて頂きます。無論、重箱の隅を楊枝でほじくるような非礼を百も承知で、ですが。 

 こんな始末であるから、進学時の日本史の知識は実に貧弱なものだった。当時、中世史の教員は五味文彦先生と村井章介先生のお二人であった。今にして思えば、私にはもったいないくらいの豪華布陣だったのだが、その頃の私は「あ、どこかで聞いたことある名前だぞ」と感じただけだった。

 そんな私が、両先生の講義やゼミに出ているうちに、日本史学という学問の面白さに目覚め、ついには大学院にまで進学してしまったのだから、人生なにがどうなるか分からない。どこかで耳にした「良き師に出逢える幸福に勝る喜びはない」という言葉は心理だなあ、と実感する。もっとも、私の”覚醒”が日本史学界にとって喜ばしいことだったのか、ひょっとすると厄介者が入ってきやがったと疎まれているのかもしれないなどと考え出すと、暗い気持ちになることもあるのだが。

 五味先生は、熱血指導型ではなく、ぽつりとおっしゃることが非常に重要な内容だったりするので、片言隻語も聞き漏らすまいと身構えていた。それと、先生は教え子の研究報告をめったに褒めない。私は一度でいいから褒められたいと思いつつ五味ゼミで発表を繰り返したが、結局一度も褒められることのないまま先生のご退職を見送ることになった。先生に論文を評価されること。それが私の研究者としての目標の一つであるが、一生かかっても無理かもしれない。

 指導教員の村井先生は大らかなお人柄なのだが、ゼミになると一変する。史料の一言一句にこだわり、おおざっぱな解釈を決して許さない厳格な姿勢に、私は歴史研究者の鑑を見た。しかし私は、実証主義という先生の教えは守りつつも、先生が精力的に進めておられた対外関係史研究にはさしたる関心を示さず、自分の興味のおもむくままに一揆研究を始めた。その意味で私は良い弟子とはいえないが、不出来の弟子にも先生は優しかった。二〇〇七年の史学会大会日本中世史部会シンポジウム「「人のつながり」の中世」で報告してほしい、と先生に依頼された時は、正直頭を抱えた。無理難題をふっかけられたという思いさえあった。だが、あれは遅々として進まない私の研究を先生が後ろから押して下さったのだ、と今になって気づいた。先生には本書出版のために思文閣出版への仲介の労もとっていただいた。本書を刊行したことで、師恩に少しでも報いることができたとしたら幸いである。

呉座勇一『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)p356~p357

 いやあ、呉座氏は散々、ご謙遜しておられますが……。その「神の子」としての「覚醒」こそ、御稜威津々浦々に及ぶ「奇跡の御業」でありました。結果論であれ、それを促されたのは、五味文彦村井章介の両氏という本邦の最高学府・東京大学が誇る二大ビッグスター学者による、ご指導ご鞭撻の賜物でしょう!

 その薫陶を一身に受けた呉座氏は、現在に至るまで、次から次へと「伝説」を、「神話」をリアルタイムで生み続けております。これなども、五味・村井のご両名、特に呉座氏が師事なされた村井氏の功績でありましょう!お二方が、日本史研究者だけでなく、教育者としても超一流であることの、何よりの証左かと存じ上げます。「人のつながり」は、中世だけでなく、現代の本邦でも必要不可欠であると……!!

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 地上界へと降臨した「神の子」呉座氏の、その後の天衣無縫、八面六臂、戦技無双のご活躍ぶりには恩師の方々も……不遜な言い方で恐縮ながら、感激のあまり、卒倒なされておられる可能性があるかと存じ上げます!中でも、大恩ある村井氏に対して、まさに史上最高の恩返しを、呉座氏は現在進行形で遂行なされていると考えられます。「師恩に少しでも報いることが」できたようで、何よりです。

 ここで、大変恐縮ながら、警視庁警備部特科(特殊)車両二課第二小隊隊長の後藤喜一警部補から、呉座氏と亀田センセイへの有り難いお言葉を賜りました。後藤隊長、宜しくお願い致します!

後藤喜一(fake)「……え?この台本通りに、この台詞読めばいいだけなの。それじゃあ、まあ」

(※いつもながら、申し訳ございません。嘘です。冗談です。フェイクです!しつこいようですが、絶対に本気にしないで下さい。原作者のゆうきまさみ先生、ひいては『機動警察パトレイバー』のファンの皆様方、関係各位様。衷心からお詫び申し上げます)

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※画像の出典は、ゆうきまさみ機動警察パトレイバー』第1巻(小学館)p147から。右端の人物が、我らが後藤喜一隊長です。

「みんなで幸せになろうよ。」

※画像の出典は、上記同様、ゆうきまさみ機動警察パトレイバー』第1巻(小学館)p147から。前後の文脈を踏まえると……流石は後藤隊長であります。はい。

(※追記 2022年8月19日:後藤隊長、大変遅ればせながら、ご出演を快諾して頂きまして、ありがとうございました!)

 ……僭越ながら、自分はいつだって、呉座氏と亀田センセイの幸せをお祈り申し上げております。不束者ですが、今後とも宜しくお願い致します。


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